@article{oai:ryujo.repo.nii.ac.jp:00000468, author = {村田, 康常 and Murata, Yasuto}, journal = {研究紀要}, month = {Dec}, note = {現代の日本社会は急激な少子高齢化による人口減少の中で、震災や台風、豪雨などの自然災害に対する脆弱さを露呈している。本論文は、現代の日本社会がこうした弱さを見せながらも、その弱さや壊れやすさと向きあうことのうちに日本文化に固有の強さがある、ということを示す試みである。日本文化の中には、おのれを知り、おのれの弱さを知ることが、人間の内的強度を高めるという考え方があって、これが日本思想の土台になっている。現代の文明社会は、科学の発展と技術革新による理性の勝利を目指すという選択肢とは別の、人間の有限性と不完全性の自覚と、この文明社会は過ちを犯しうること、私たちの社会的活動が自然に対しても自分たち自身に対しても予測できない影響を与えることの自覚から再出発することを求められている。本論文では、「私たちが世界とともに何ができるのか、という限界」 (AI78) の決定から再出発するべきだというホワイトヘッドの言葉にしたがって、この再出発のための原点となる考え方を、「弱さの哲学」として提示することを試みる。  現代社会にとって必要なのは、自然を改変したり人々の対立を激化させるような「強い」精神ではなく、人間としての「弱さ」を自覚して、自然の営みに調和した生活を追究し、他者に対して寛容な受容的態度で臨み、多様性の中に自己自身を位置づけ、他者との違いや世界の多様性を楽しむような享受と寛容の精神である。「享受(enjoyment: 楽しむということ)」を強調するホワイトヘッドの形而上学において、そのような精神が示されている。}, pages = {73--100}, title = {Philosophy of Weakness: Whitehead’s Existential Cosmology}, volume = {41}, year = {2019}, yomi = {ムラタ, ヤスト} }